もうやだこんなの
ただ、この事故を伝えつつも、試合結果として
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<第8試合 GHCタッグ選手権>
[王者組]バイソン・スミス、○齋藤彰俊
(27分03秒 レフェリーストップ)
[挑戦者組]●三沢光晴、潮崎 豪
※バイソン&齋藤組が3度目の防衛に成功
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このように表記したスポナビを、俺は評価したいと思う。
なぜなら、三沢光晴は戦いの中で、リングの上で倒れたのだから。
三沢光晴という人が、どれだけ男気に溢れ、最高の親分であったのか。プロレスファンなら誰でも知っているし、プロレス関係者なら、恐らくファンには知りえないレベルで、その凄みや深みを聞き知っていることだと思います。
オリンピック級の実力を持ちながら、大学に進まず、全日本プロレスに就職してプロの道を目指した三沢。馬場さんの求めを断らず、メキシコに渡り、マスクを被って帰ってきた三沢。仲間たちのために、自分を育ててくれた古巣に弓を引いた三沢。それが乗っ取り屋気分や功名心のためでないことは、それこそ誰もが分かっていること。
三沢光晴という人は、プロレス界において、どれだけ評価しても足りないほどの人物だったことは間違いないと思います。
ただ、やっぱり、死んじゃいけない。プロレスは、死んじゃいけないのだ。
己の命を投げ出すようなスーサイダルな技に対して、凄いと思う気持ちはもちろんあるし、現場では声をあげて沸いてしまうこともある。でも、かつてのそれは、ある意味で「死なない工夫」の上にあった技だったものが、一歩間違えれば本当に死んでしまう技になっているというのは、プロレスファンの誰もが気づいていることだったと思います。それでも、それを求めてきたのはファンの下品さだし、四天王プロレス以降、そういう方向を提示することが正しいことだとしてきてしまったのは、他ならないプロレスラー自身だったと言えるでしょう。
例えばアクション映画だって、リアルヒッティングすることが重要なのではなく、カメラと演者の技量によって、画面上に説得力を焼き付けている映画のほうがずっと凄い。それと同じことなのです。
だから。俺が見たいのは、死ぬような技ではないのです。意地と、文脈と、工夫の上にある説得力で、緻密に出来上がったプロレス。自殺ショーではなく、格闘芸術としての、肉体のマジックとしてのプロレス。そういう世界であって欲しいというのが、切なる願いです。
人間としての大きさと、「やるんなら、やる」だけの確かな技量を持っていた、偉大なるプロレスラーに。R.I.P.